昭和48年02月14日 朝の御理解



 御理解 第71節
 「ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。夜夜中、どういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ。子供がある者や日傭取りは出て来るわけにゆかぬ。病人があったりすれば、捨てておいて参って来ることはできぬ。まめな時ここへ参って信心のけいこをしておけ。」

 お互いが信心の初歩の時には、どうかある時にお参りをするという、何時もまめな時にここえ参って来てという。所謂平成平穏無事と言った様な時が、私共には一番多い訳です。そういう時には疎かにしておって、さぁ何かと言う事になって参って来ると、この辺の所を分からにゃいけん。所謂常日頃の信心が肝心じゃと。しかもしっかり常日頃の時に、あれを特別取り立てて願わんならんと言う事のない時に。
 本気で信心の稽古をしておけと。これはどうしてもね、信心の稽古というのは、本当に信心の稽古に打ち込まんと分からんです。どんなに良いお話を頂きよっても苦しい事、おかげの事で頭が一杯ですから、なかなか稽古が出来るもんじゃない。これはもう何の稽古でもそうです。例えばそんならお茶ならお茶、お花ならお花の稽古をするとするでしょう。心配事が何かある時に手がつけられる筈がないですよ。
 けれども何かここに一つの身につける教養として、こう言う事でもひとつ勉強しとこうという時。暇な時何にもない時でなからなきゃ上達はせん、信心も同じ事です。けれども何とはなしに信心とは、昔から言われるように、悲しい時の神頼み的な心というのが、信心ちゃ何かお願いをする、おかげを頂く事の為に信心があるように、そういう観念がお互い有りますからね、なかなか信心の稽古は難しいと言う事になる。そこをまず分からせて貰うてです。
 昨日私ある方が子供さんの事で、もう本当に死ぬか生きるかと言った様な状態のお願いがあったんです。そしたらねそういう時に、神の認識が出来る時と仰るです。だからお互い難儀な事を、それからまた改めて色々ヒントを頂いたのですけれどもね。ほんな事誰さんの事、彼さんの事色々思うてみて、難儀な事だなぁとこう私は思うたけれども。ははぁこういう時にその人たちは、愈々神の認識を深める時だから、言わばチャンスだと。信心の稽古をさせて貰うチャンスだと言う事を思わせて頂いたらね。
 その人達の難儀と言う事が、本当に神様にお礼を申し上げなきゃばならん事だなぁと思いました。けれどもその方達自体も、難儀な事で頭が一杯なのですから、この難儀な事で、頭が一杯という事を、まず祓うてああこれによって神様が、神の再認識をさせて下さるんだなと気づかれた所から、信心の稽古は出来て来る。だからそういう神様を頂いて、しかもそれは、まめな時ここへ参って来て信心の稽古をしておく。平穏無事何でもないという時にしっかりお参りをして、信心の稽古をしておく。
 ここへは信心の稽古をしに来るのである。よく稽古をして帰れ。夜夜中どう言う事がないとも限らん。おかげは我が家で受けよ。まあここん所をこのままと言った様な事が、昨夜はあったんです。もう昨日に限って、私は早く夜のご祈念を終わってから、すぐ休ませても貰った。そしたら一時頃ですか、正義さんと繁雄さんと、枕元に来ちゃるですもん。先生今、秋永先生方の隣が火事でございますち言うて、やって来てる。ここへ電話をしきりにかけたらしいのですけれども。
 もう一時頃一時頃ならよく私は、ここへ来て御祈念をしよるのです、何時もは大体なら。昨日に限って私はそんな訳で、もう一時頃は熟睡しておったんです。それで文男先生か誰かでしょう。正義さん方に電話をかけた。正義さんがここへお届けに来たという訳です。ここへ来たばってん真っ黒になって、誰も居らんもんだから、こうこ暗隅を探して回った所が、新館のいつも繁雄さんが休まれる部屋が、ボンヤリ明かりがついとるから、あそこを開けたら、正しく繁雄さんが休んじゃったち言う訳です。
 繁雄さんを起こして、親先生にちょっとお届けしてくれ。そんならあんたも来んなという訳だったんでしょう、二人で私の部屋にやって来た。けれども何ち言うですか、一つも心が騒がない。「あぁそうの」と、もうそのままでよかという様な気もしましたけれども。何とはなしにここまで出て来たいという気がしまして、それから改めて又、洗顔をして、洗顔を終わらせて頂きましたら、ちょうど私の鏡の前に、洗顔する所の前に、今小さい花瓶に山椿が一輪差してあります。
 大体椿というのはこんな風にして咲いとる。横向いたり下向いたりして咲いてますよね。それがね真上を向いて咲いておるのが、一輪差してある。それを頂くのです、すぐ。ははぁ椿の花と言う事は、まっ赤にしてますね、まっ赤と言う事は火事を意味する事だろう。しかも真上を向いとると言う事は、ははぁこれはおかげ頂くなとこう思ったんです。一軒なら一軒で終わるなとこう思うたんです。そしてここへ出らせて頂きましたら、又電話がじゃんじゃん鳴っているということ。
 はぁ出て来てよかったなと。そしたら秋永先生から電話が掛っとったとこでした。おかげで東隣の方が焼けとる。ほんにおかげだなぁ前はほんな壁ひっつきべったりの所に、もうそれこそ焚きつけのごたる家が有りましたもんねあの時分。皆さんご承知でしたでしょう。それが取れてから最近ボーリング場が出来て、そこに道が出来とる小さい道が。その東隣との中に。その道のおかげで隣だけで鎮火致しましたから。
 と言うお届でした。成程今日のここの御理解のとこと、ここへ参って信心の稽古に来るのである、よく稽古して帰れと。昨日の兄弟皆、ご承知のように十三日会で、一日ここで御用を頂いておりました信心の稽古。夜夜中どう言う事がないとも限らない。そういう時にね、それこそ慌てず騒がず、おかげ頂けておる。おかげは我が家で見事に受けたという感じですよね。お礼を申させて頂いておりましたら、梅の花が一枝にいくつも咲いてるのを、その梅の枝の裏側から、こうやってのぞく所を頂いた。
 裏梅というですかね、梅の花の裏側からこうやって。梅の花といや信心辛抱と言う事でしょう。昨日十三日会で、北野の秋山さんが、体験発表をなさっておりましたですね、奥さんの方が。もう本当に素晴らしいお話でした。まぁ大体お母さんの信心が中心になって、それこそ信心辛抱をし続けてきた。毎日毎日家族の者が信心が無いじゃないけれども、そげん参らんでんと言う様なものであったり、信心は一家中でしておるけれども、神様へ向こうたというのはお母さんが一人であった。
 月次祭には長男も参って来る。弟息子の方はマル少の幹部で御用に出て来る。お父さんは総代として、おかげを頂いておるけれども、神様の方へ全面的に向いておると言う事では無かった。むしろ家内が参りよるけんでち言ったようなもんじゃなかったでしょうか。所があの五つの願いが出されるようになって、もう兎に角頼んででも、参って貰えという事を頂いて、子供達にもお父さんにも頼んだ。それから一生懸命又丁度寒修行にも入りましたから、お参りが出来るようになった。
 その間にもう次々と素晴らしい神様の働きが始まった。私はねそういう修行始めたから、始まるというのじゃ無くて、それまでの永年の間、お母さんの信心が信心辛抱しぬかれた。梅の花の信心が頂き抜かれて来とったと言う事です。そこに期せずしてお父さんが、神の方へ向かう事になった。長男なんかは嫁がお医者さんから、十人が十人助からんと言われるような、いわば宣言を受けてからそんなら私が一丁、本気にならにゃと言うて、兎に角毎日朝参りを始めた。
 勿論それに弟の誠二君もついて来る。お父さんは勿論、寒修行の間と思いよったけれども、寒修行が過ぎても、今日も只今お参りになっておられるように、いわゆる一家を挙げて神様の方へ、向きが変わってしまった。だから起きて来る事全てが、神様のおかげと、皆んなで感じれるようになった。私はねこれはいつも皆さんに申しますように、これは本当の意味のおかげですよ。
 神様も喜んで下さるおかげなんです。そういうおかげをね一家中の、一人が反対しておるとか、不信心なのが居ったんでは、絶対本当のおかげにはならんです。おかげを頂いてもです。一人が腑がよかったったったいち言うたらそれ迄の事。それは神様がね、恩着せようと思うて、おかげを躊躇しておられるのでなくてです。皆んながおかげという実感が出る所から、はぁ神様のおかげでと言うその心に、又おかげが頂かれるからなんです。神様が皆んなの者が、おかげと思わにゃおかげはやらんと。
 そういう思わせ振りとかおんきせる為にじゃないです。いわゆる梅の花を裏から見た。これは信心辛抱しておるけれどもです。そんなら秋山さんの、ただ一人の信心が、いわば二十年なら二十年のの間一生懸命続いた。それは皆さんもご承知の通りですよ。ですからもうおかげを頂くという、ほんな早ようわたしたいと言った様なものが、神様はそういうもんが出来てしまっておる二十年間の間に。そこに向かって一家中の者が、もう善しにつけ悪しにつけ。
 神様のおかげを実感しなければ居られない程に、真正面から神様を頂くようになった。いわゆる前の方から、この梅の花を見れるようになった。そこに昨日は、秋山さんが発表しておられますように、あれもこれもが一時に、お花が咲き出したと言った様な、おかげになっておるでしょうが。素晴らしいです。金光様の信心のおかげというのは。だからなる程勢を揃えた信心、例えば勢を揃えた信心しておってもです。真正面から神様へ向かっておる、ここですこの時におかげを受けるとです。
 私共が椛目時代の頃、もう家族中の者が、勢を揃えて、どういう難儀な中にあっても、家族中の者が、こうやって向きを向けた時です。人が助かるようになる前の年だったでしょうか。まぁだ難儀が一杯の時分、母が正月にお夢を頂いた。丁度、椛目の前が大水で、一杯、船に水が入ってきよる。その船にはもう一杯の青梅が積んであった。それを私が一生懸命、こいで家の中に入れ様としておる。家内が尻ひっからげて両親やらが、その船を後から一生懸命押して家の中に入れよる。
 まぁだ若先生が四つ五つだったでしょう。が船の舳先の所に日の丸の扇を持ってから、頑張れ頑張れと言いよる所じゃった。そして家の中に押し込んだというお夢を頂いた。梅の実と言や信心辛抱の実が、こんなにも貯っとった何十年の信心で。けれどもおかげを頂くという、皮切りが出来なかった訳ですねいうならば。それを今度は一家中の者がそれを本気で、神様へ正面切って向こうた時にです、おかげが頂ける様になった。私共一家の助かりだけでなく、人迄もどんどん助かると言う様なおかげになってきた。
 昨日の秋山さんのお話は、それだと思います。いわゆる梅の花の裏からの信心、裏から見ておるという信心でいってる。それこそまあだ来たばっかりの嫁ですらがです、なる程神様のおかげちやと思うごとなった。途中で医者に行ったが、これは見間違いじゃったじゃろうち言うちから、言わっしゃったち返って来た。そるけん光幸さんが、俺がこれだけ一生懸命お参りしよるとに、お前はおかげちゃ言わん訳ですたい、医者は分からんもんじゃけん。医者の見間違いじゃったげな。
 もう本当に見間違いじゃったと言われる程しのおかげを頂いとるとに、お前は何ちゅう事を言うかと言うて夫婦喧嘩しよる。それでお母さんが下から聞いてから、それは信心がなかけんで、止むをえん事だけれども、けれどもこれは一つ親子三人でお礼に出らせて頂いて、親先生からよくお話を聞いてから、おかげをおかげと実感しなければ相済まん。だから、あんたもやっぱり分からんなりにでも、おかげと思うてと言うてその、言った様なひとコマも御座いました。
 と言う様に来たばっかりの嫁後ですらも、心を神様に向けると言う所に至った時です。いやぁと言う様なおかげ。おかげの花が一遍にこう開いて来たという感じ。お互い信心の稽古をさせて頂いて、まぁだそれは私の信心が足りんからと言や、それまでだけれども。じゃないそれは神様のご都合、一年間で一家中の人が、信心する様な事になって来る所もあるかと思うと、十年経っても二十年経っても、まぁだ私一人の信心という所も有るです。それは神様の深ぁいそれこそ、梅の実が沢山貯まりよる時です。
 だからその時こそがです、いうならば神様を愈々認識させて頂く時期だという思いでです。秋山さんが、皆んなが信心せん訳じゃないけれども、心の全部身も心も、神様へ向けてしまうと言う様なおかげを頂く迄に、秋山さんの信心辛抱が有ったようにです。それは私の方は、まだ子供がついて来んとか、家内がついて来んとかという人が有りますけれども。それは分からない神様の世界だから。
 それは深あぁい神様の私の方あたりは、一家中で信心はしておるけれども、本気で神様の方へ向いてしまうというのは、何十年かかっておる訳ですからね。だからそれはあっちは信心が出来んから、間違うとるけんで、子供がついて来んと言った様な事は、絶対にない。問題は自分自身の心の中に、信心の喜びが生き生きとしてです、感じられるような信心を頂いておく時期を頂いておるのです。
 そして今日私は秋永先生の所の、例えば今日の七十一節でも、もう本当に昨夜の為の御理解を、今ここで頂いておるような感じがする。まさかの時又は、夜夜中どう言う事が起こらんとも限らん。秋永先生一家の信心がです、日頃に出来ておる、信心が何でもない時に稽古が出来ておるから、夜夜中それこそとっさの場合にでも、おかげにしていく事が出来たと言う事になるのです。
 お互いが本当に神様のおかげでという実感が、しかも一家を挙げてその実感が出来た時。神様の間違いなさを認識した上に、認識させて頂くおかげを頂いた時。頂けてくる現れてくるおかげが、本当のおかげなんです。そんなら家の中で私だけじゃおかげ頂けん、そういう事じゃない。おかげを実際頂いておる。けれども神様が喜んで下さるようなおかげ。それは神様が、恩着せたいからではないと言う事。なぜ神様がそうして思惑しておんなさるかと言う事は、そう言う事ではない。
 お互いが心の底から、神様のおかげと実感出来るその心にです、おかげがまた限りなく頂けて来るのでありますから。その心が揃うた時が一家勢を揃えた時の信心だと、私は思うです。どうでも神様本当に喜んで下さるようなおかげを、一つ頂かなければならん。為にはどうしても家族が勢をそろえて、もう正面切って神様の方へ向いた信心でなからなければならない。私も昨夜こちらへ出て来て、正義さんが帰りますから、表まで送り出して送り出して思うた。
 ははぁ本当に今日はそれこそ、そよっとした風も吹かんなぁと思いました。天地がねもう本当に、自由になると仰るが、おそらく福岡あたりでも、やっぱりこの様に風が無かった、無風状態であったじゃろうと思うです。隣が秋永先生の所も木造建ての、火が来るなら一遍に燃え上がる様な家ですよ。けれどもああいう密集した所で、おかげを頂いて、まだ詳しい事は聞いとらんけれども、東隣だけで済んだと言う事は。
 本当に日頃の先生の信心が、こういう風な天地の働きの上にまで、表れておったんだなと言う事を、思わせて頂くのです。本当にあげん離れとったばってん、風が丁度その日は、こっち吹きよったけんで、こっちの方がズラリやられたと言う様な事すらがあるでしょうが。本当に信心の稽古が、本当に出来ておかなければならないなと言う事を、それこそ再認識させて頂きましたね。
   どうぞ。